今日のお仕事20100304

自分の気持ち疲れが少し垣間見える感じのメンバさんへの日誌コメントの薄さはまずいと思う.←今ここ.自戒自戒.
頭痛があるとの事で休みたいと早朝に連絡してきた人は,通常の出勤時間頃には「頭痛はあるけど,じっとしてても治らないから」と出勤してきたり.実際には仕事してるうちに良くなったりで,逆に続ける事への強化になったりするんかなと.
そういう体験が,仕事での無理な頑張りに繋がらなければいいなとは思うけど.まぁちゃんとそこで相談や報告して来た事に関しては良い事として.
ハローワークへ行きたいというメンバさんが,他のメンバさんを誘っていたりと.良し悪しどっちもあるけど,その辺の見極めはスタッフ的に必要か.
1日誰彼捕まえて相談や雑談をしてた人について,自我の低さから考えるか行動の特徴から考えるかは人それぞれかねぇ.
時々,就労準備訓練をしながら仕事を見つけに行ってるメンバさんがうまく就職に繋がらないと,さすがに気持ち的にきつかったりする.
訪問看護を希望していると作業中に質問あり.以前一人暮らしに向けて訪問看護を利用していたとの事だが,その訪問看護→一人暮らしの繋がりがはっきりしなかったり.
その人が持っている訪問看護のイメージは「いろんな管理をする人」との事.金銭とか服薬とか生活とかの管理を「してくれる」という.いや,そこは一緒にやるとか自分が出来る様に支援するとかではないかとツッコみたくなったり.
そりゃ「してくれる」というイメージで続けていても,自律の方には進んでいかないよなぁというので,続かなかったというのに納得したり.
「この人はこんな人かなぁ」と大まかに捉えてから,それに繋がる個々の要素を洗い出していき,そして「で,それらを統合して言うと,この人はこんな人」とする全体像のまとめ.まぁ還元主義的ではある.個々の要素と並んでその関係性という繋がりも大事.やけどICFの上でやっている以上,どうしても還元主義な面は出てくるんかなぁと邪推.
臨床で評価の内容が量的に少なかったりするのは,決して手を抜いてるのではなくて(多分),ちゃんと「木を見て森を見る」やり方が身についてるから,と思いたいところ.
確かに部署が明確に違うから,「とある入居者さんがアパート借りて一人暮らしするから援助しよう」プロジェクトメンバになってないのは道理なんやけど,ちょっと,いやけっこう哀しかったり悔しかったり面白くなかったり.
まぁもし就労支援室の実習で動くことになったら,それはそれで,そこまでにどう変化していったかとか本人の特性はどんななのかをきちんと伝えるのが就労移行支援側としての役割かなと.そこまではやりたい所存で.また相談支援な人には,そこまでの分は渡しておこうと.それを活用してくれるかどうかは,それは相談支援な人次第という事で.
メンバさんが行き詰まりを感じている状況で次の手が今の事業所で活かせないなら,手段を変えてみるというのも手だよなと.